妖怪ウォッチについて語る週末
私 「今、すげえ面白い事があったんだけど、話せば長くなるからどこから伝えたら良いか分からん」
家人 「ダラダラしてただけじゃん」
私 「聞いてくれるか」
家人 「トイレ行って来ていい? あ、飲み物も取ってきていい?」
妖怪にまつわる長い話
私 「妖怪とかオカルト・民俗学とかの話が好きな人間には有名、というか割と当たり前の話なんだけど」
家人 「お、おう……」
「妖怪とか、言い伝えとか昔の怪談なんかは……んー、何と言えばいいかな。『ものの喩え』なんだよ。寓話とか、暗喩、隠喩、そういう物……だっていう話がある」
「そうなのか」
「そう。例えばざしきわらし。座敷童の居る家は栄えて、座敷童が出ていってしまうと没落するだろ」
「そうだな」
「あれなんかは、 『急に羽振りの良くなった人』 に対する理由付けなんだ。 ”あいつ最近急に羽振りが良くなったな。家に座敷童が居ついたらしいぜ” という」
「ほー」
「だけど、急に金を持った人は、使っちゃってすぐまた貧乏になりがちだろ。そうなると今度は ”あいつ最近パッとしないな。借金もあるらしい。座敷童が出て行ってしまったんだ” ……となる」
「なるほど!」
「同僚が急に金持ちになったら妬ましくなったりするだろ。それを ”座敷童のせいだ” とする事で緩和していた……とか、そういう話でもある。 (貨幣経済の普及に伴う個人資産がどうとかの話はまあいいや) 」
「なるほどな。 ”ゴルゴムのしわざ” じゃねーか」
「えっゴル……うん、まあ、そんな感じだ。いやせめて ”天狗のしわざじゃ” にしてくれないか。まあどっちでも良いんだが、つまりこんな感じで、妖怪とか怪異っていうのは何かの出来事の意味付けのために生み出されて語り継がれてきた、という説があるんだ。『あそこの家の子と遊んじゃいけません』は犬神筋、急な奇行は狐のせい」
「……じゃあさ、ぬらりひょんは何なんだ?近所の徘徊老人?」
「不明だ。そういう、どこから何のために出て来たのかさっぱり分からん奴も居る」
「ほう……」
「よく分からない。そういうのは不気味がられている」
「……以上?」
「以上。怖いだろ」
「そう考えると怖過ぎる」
座敷童とジバニャン
私 「まあ、そういう話がね。あるんだよ。こういうのが好きな人は多分大体聞いた事がある話だと思う」
家人 「なるほどなぁ。それで?長くなるって言ってたからまだ前置きみたいなもんなんでしょ」
「うん。それでな、さっきダラダラしてた時にtogetterを眺めてたんだが 『妖怪ウォッチを見た後、夫婦げんかでむくれてる母親をさして子供が ”ママには今、黙っちゃう妖怪がとりついてるの” とか言い出して、妖怪ウォッチすげーってなるママさん』 の話があったんだ。これ、さっき話した座敷童の話と全く同じだろ」
「お……おお……!?」
「ママさんは 『”妖怪ウォッチ”を通して、問題のある出来事を当事者の人間性と切り離して考えられるようになる視点が得られる、すごい』 みたいなツイートをしてた訳です」
「想像以上にちゃんと妖怪やってんな、ジバニャン」
「そう。そうなんですよ。ついに時代が追いついてきたなって感じする」
「いやむしろ戻ってるだろ。江戸とかに」
「まあそうとも言う。そうそう、ジバニャン。こないだ1話だけ見ただろ、妖怪ウォッチ」
「見たね。流行ってるからとりあえず」
「うん。それで、1話で主人公が家に帰るとパパとママがケンカしてたろ。あれ、妖怪の仕業」
「ああ、なるほどな!!! 『妖怪が居たからなんかイライラしてケンカしてた。妖怪が居なくなってなんか仲直りできた』 ……か!!!」
「そう。両親がケンカしている理由なんて子供には分からない。分からないけど、何か原因はあるはずだ、と考えた時に妖怪が出てくる。分からない物に対する理由づけとしての妖怪、これは座敷童と全く同じ。正統派の妖怪。まさに、正真正銘の妖怪。私らが妖怪ウォッチを観た時、なーんだオリジナルの妖怪かよただのポケモンじゃんって思ったじゃん?ところがどっこい」
「あいつらちゃんと妖怪してんだ……」
「居るね!!ジバニャン居るね!!!」
「『こどもとびだし注意』とか書いてある看板の裏にはジバニャン居るんですよ……いやー、これはヤバいね。興奮した」
妖怪ウォッチと京極夏彦とビニ傘小僧
家人 「なるほど、そういう事だったのか」
「そう。中禅寺秋彦もね、又さんとはちょっと方向性は違うけど、憑物落としも同じような理屈 (むしろ妖怪とか怪異を挟む事によって、そもそもの因果関係の前に妖怪ありきに変化するという時系列の逆転が……とかいう話はまあいいや。そういや去年読んだ「陰陽屋へようこそ」とかいう小説にもあったなあ、夫婦げんかを妖怪のせいにして解決する話が) 」
「けど妖怪ウォッチには小豆洗い出て来ないんだよな」
「それだよ」
「どれだよ」
「小豆洗いじゃダメなんだよ。なんていうかさ……子供に 『危ないから道路にとびだしちゃダメ』 と言うより、ジバニャン居るから危ないよって言ったほうが通じそうじゃないか。ジバニャン居るから、って言えば、それでアニメ1話のジバニャンの話を思い出す事ができるじゃないか。道路から飛び出すと車に轢かれて死んじゃって悲しむ人が居るよ、という一連のストーリーがすぐに思い出せる」
「……なるほど」
「そこんとこ言うと、唐傘お化けとかじゃダメなんだよ。無いもん、唐傘。唐傘が無いって事はそれにまつわる話とかも特に無いもん、この現代。妖怪ウォッチ的には ”コンビニの傘立てから傘を盗む妖怪” とかじゃないといかん。普通の傘は平気なのに何故かビニ傘だけ盗まれる」
「ビニ傘小僧か」
「言葉の響きがビニ本と似てるせいで妙にいやらしいんだが、まあそういう事だと思う。ビニ傘だからいいや、みたいな話の妖怪。居そうだな……。まあ、だから、妖怪ウォッチに出て来るのはオリジナル妖怪じゃないといけなかった訳だ。まさに現代妖怪だよ。妖怪ウォッチすげーよ」
ジバニャン居るってば
家人「ああ、なるほど……。けど、なんでも妖怪のせいにしたらそれはそれでダメなんじゃないか」
私「その話は私の読んだtogetterにもあった。でも、例えば 『泣き虫だからという理由でいじめられてる子供』 が居たとする。すぐ泣くやつウザいしな。いじめっことしても、リアクションが面白いんだろうな。それが、個人の性質ではなく、泣き虫妖怪が取り憑いてる、という事になれば無駄な人格攻撃はしづらくならないかな。妖怪が居なくなればいじめは終わる、かも」
「それはそうかもな。ああ、それでさっき言ってた 『問題のある出来事を当事者の人間性と切り離して考えられるようになる視点が得られる』 って話か」
「うん。罪を憎んで人を憎まず、みたいな」
「でも、そうなると逆に、個性とかそういうのが全部妖怪のせいになっちゃって、個人の個性みたいな物が薄れていかないか」
「うーん……それは 『俺に憑いてる妖怪はすげーんだぜ』 みたいな方向で差別化が図られるんじゃないかね。というか人格形成に深く干渉するような物でもないだろ、妖怪。ジバニャン居るんですよっていうのと、妖怪が実在するかっていうのは別問題だろ。なんでもかんでも妖怪のせいにできる訳じゃない。似非化学とかと違うのはそこのところだね」
「確かに、妖怪が実在する前提で話をするバカは居ねーわ」
「居るけどな、ジバニャン」
「居るな、ジバニャン」