モカジャバをジャバジャバ

世間の出来事のうちのごく一部について、周回遅れで書くブログです。基本的にはゲームのブログではあります。

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ネバー思い出せないという事は何でもアリという事じゃんよ - 2014冬アニメの感想 (2)

正に忙殺されていました。
年度末って怖いですね。会社のデスクで鼻血出たもん。

そうこうしているうちに、2014年冬アニメも次々に最終回を迎えているようですね。
この記事、まだ第二弾なんですけど。

ていうか下書きを寝かせているうちに先の記事を投稿してしまい順番が前後しますけど。


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「スペース☆ダンディ」は多分きっと面白い

厄介なアニメですよね。
このアニメを楽しもうとするときに、アニメ史に通暁しているスタンスで行けば良いのか、作画オタの目線で行けば良いのか、声優通ぶってキャスティングを愉しめばいいのか、はたまたこんなんつまんねーよと言えば良いのか。かといって無闇矢鱈に 「面白い!今期はスペースダンディだわぁ」 とか言っちゃうといかにも、シュールな作品を楽しんでる俺格好良いみたいなサブカル野郎っぽくもあり、そうそう手放しに賞賛できるほど面白い訳ではない気もするあたりが実に厄介だと思います。

11話 脚本:円城塔  しかし本当に円城塔は何でもやるなあ

正直忙しすぎて、ここ一ヶ月くらいはロクに (鬼灯さん以外の) アニメを観ていなかったのですが、11話だけは意地で観ました。だって円城塔が脚本担当ですよ。

脚本:円城塔
この言葉のもたらす期待感と不安感は並大抵のものではありませんよ。
……ついにあの円城塔の世界観が映像に!なる……のか?
とか期待をしながら 「いつもの円城さんが出てきたら、円城さんを知らない人たちがドン引きするに違いない」 と言う危惧を抱く葛藤はまるでサンホラ紅白出場の時のそれのようだったと思います。

実際、賛否は分かれたようですね。
うちの家人は、視聴後に黙りこみました。そして私も押し黙った。

そんな11話を、一応SF読みの末席を汚す立場からほんのりと説明してみようかと思います。

スペース☆ダンディ11話が意味不明だった人のための解説

円城塔。この偉大で偏屈な作家はとても愚直だ。
その主張にはまったくぶれる所がなく、いつどこで読んでも間違いなく円城塔の本であるという点で実に素晴らしいのだが、いつもいつも同じような本を書いていると酷評することも可能である。とはいえ世の中には何十年もひたすら推理小説だけを書いている作家なども居るようだから、一流の作家というのはある程度皆そんなものなのかも知れない。
彼の著書を読むと、読者は常に必ず同じ主張を見出す事になる。
その主張とは以下の通りである。

  全ての可能な文字列。全ての本はその中に含まれている。
  しかしとても残念なことながら、あなたの望む本がその中に見つかるという保証は全くのところ存在しない。これがあなたの望んだ本です、という活字の並びは存在しうる。今こうして存在しているように。そして勿論、それはあなたの望んだ本ではない。

これは円城塔の鮮烈なるデビュー作のその冒頭に飾られている一文である。
あなたが円城塔の著書を読もうとするときは律儀に刊行順に読んでいっても構わないし、気紛れに手に取った一冊からやがて最初の ”Self‐Reference ENGINE” に辿り着いてそういう事かと得心しても構わない。もちろんどれか適当な一冊を読んで途中で投げ出したり、それきり古本屋に売り払ったりしてみても良い。あるいはこうして今あなたが読んで知ったように、円城塔という作者の性質についてを知ってから読書に取り掛かってみる事もできるだろう。読者は読書という行為の全権を委ねられている訳だが、どれほど全能であったとしても必ず直面するのが上記の一文だ。

円城塔は繰り返して何度も同じ事を書いている。

ここで唐突だが私の話をしよう。
私が円城塔の著書を読む時には、まず読み始める。読書なのだから当然なのだが、しかしそれ以外の表現方法が思い当たらない。例えば恋愛小説を買って読む時には、これが少年少女の話だとか、魔法や超能力で戦うとか陰謀の糸を手繰っていくとか何らかの概要を知った上で予断を持って読み始める。しかし、円城塔の著書にはそれが無い。だからただ、読み始める。円城塔の書いた文字列という物を読む、という実直な行動しか取ることができない。私は全能の読者ではあるが全智ではない。
そうしてとにかく何だかそこに書いてある事を読んで行くと、どこかで先の一文が現れる箇所がある。
お忘れの方のため、ここにもう一度書き記しておこう。 「全ての可能な文字列。全ての本はその中に含まれている」 以下略。
そこからようやく、円城塔の小説がはじまる。
どの本も大体がこんな感じである。
大変主観的な表現で伝わりにくいこと甚だしいとは思うが、まあ大体のところがこういう感じになる。
勿論、一語一句を同じくする文章が様々な小説に現れる訳ではない事は付け加えておく。 「全ての可能な文字列」 以下略の主張を読み出す事の可能な文字列、そこにある文字の並びは全く別の物ではあるが、意味の面で同じ内容であるという事を想起させる一文。そういうものが大体、各小説の前半の真ん中からその前後あたりにある。
そこから始まった円城塔の小説を読み終えた所で、私は円城塔の小説を読んだなと思い満足をする。

作者の主張、および本の主題は前半の真ん中からその前後あたりに既に書いてあるから、クライマックスの大どんでん返しは無いし、主題が既に明示されている以上はそれを説明するための起承転結だってそんなには必要がない。実際、円城塔の小説にそういった展開はあまり無い。しかし、全ての可能な文字列が含まれる以上読者はそこに何らかのストーリーや教訓を見出して分かったような顔をしても良い。
だがしかし、度々作者が 「っていうのは嘘なんだけどね」 とか言い出す事を、読者は常に留意しておかねばならない。 「全ての可能な文字列。全ての本はその中に含まれている」 がしかし 「あなたの望む本がその中に見つかるという保証は全くのところ存在しない」 と即座に断ずる形の理念を掲げる作者である。実際に小説内で己の記述に対して 「っていうのはまあ無いんだけど」 と宣言してその理念を体現して見せた例は多々あるが、それでも読者はその宣言自体を嘘、あるいは作者なりの照れ隠しとかだと見ても構わない。

スペースダンディ11話はつまりそういう話だったかというと、イマイチそういう話でも無かったような気はするがひとつ言えるのは、起こった出来事を忘却するという事はその忘却された期間の中では全ての出来事が起こりうるとかそういう事だろうとは思う。だからどうしたと言われればそれがどうしたと言うしかなく、そもそもメディア戦争とか数式の意味となると最早どうでもいいおっぱい。マッドなゲル博士とか何か面白かったからそれでいいじゃん。

何らかの明快な解答を求めてこの長い解説を読んだ人はすべからく、全く意味が分からないと思う事になるだろうが、円城塔という作家の大体がそんな感じなので諦めて欲しい。